宇宙意識とつながることが楽しい ジャッキー・エンのプロフィール

ジャッキー・エンです。

人間関係で苦しんだ人生を経て今では宇宙と一体化することで、自分の好きなことだけをやり楽しく幸せに生きるようになった、私の自分の人生のこれまでを、この記事に詰め込んでみました。

カンタンなプロフィール

ジャッキー・エン(車田 政信)

名前:ジャッキー・エン(本名 車田 政信)

 

 

人生ストーリー:

小学校時代から人間関係に苦しみ、挙句の果てに最悪の人間関係の会社に入社して、自分を騙し我慢をし続けて、とうとう統合失調症になってしまいました。

統合失調症になったことで、少しのストレスでもパニック障害となり9年間も働けない状態でした。

 

9年間の間は、となりの人が怒られているのを、聞いているだけで、気絶してしまうと言う状態でした。

または、少しのストレスで体が震えだし、パニック障害で頭がおかしくなる状態でした。

 

しかし、宇宙(創造主)を意識し始めてから働けるようになりました。

何度か、パニック障害で会社をやめるところを、宇宙(創造主)のエネルギーが体に入り障害を抑えてくれたのです。

 

そこで、私はなんとか新しい会社勤めができるようになりました。

しかし、その会社も昔の中学校の部活のような職場で、人間関係のきつい会社だったのです。

 

私は、ここに来ても人間関係に苦しめられました。

私は3年半ほど、また自分を騙して我慢をしてしまいましたが、意を決して辞めることにしました。

 

退職後、宇宙の意識のことを勉強しまくりました。

そして、その時に思いついた「瞑想アファメーション」を実践したことで、自分を信じ切れるようになりました。

 

その後は、とても人間関係の良い会社に入社することができました。

宇宙の勉強をして2か月後のことです。

 

宇宙の意識のあまりにも早い効果に驚きました。

「瞑想アファメーション」「普段からのアファメーション」と「自己受容」を毎日実践することで、人生が劇的に好転して行きました。

 

職場、仕事、家族関係含めて、ストレスが全く無くなりました。

何が起きてもストレスがすぐに緩和される状態になった訳です。

 

また、宇宙の意識のもとに「瞑想アファメーション」を行うと、人生の良き人との出会いや、チャンスがどんどんやってくるようになりました。

 

今では、自信にあふれ、なにが起ころうとも不安がなくなり、悩みもなくなり、人生を楽に楽しく生きています。

人生から不安や悩みの出来事が起こらないと言う訳ではなく、そんなことが起きてもすぐに楽しい状態に切り替えられるようになったと言うことです。

 

「瞑想アファメーション」と「自己受容」を含んだ「宇宙とつながり幸せになる11ステップ」を実践したことにより、自分を愛し、自分らしく生き、自分に正直に生きることができるようになりました。

そうなると人生が、とても楽しくなってきました。

今では、好きなことやって楽しく生きています。

 

つまりは、短期間で意識の変革で人生が変わったのです。

現在は、好きなことだけをやり、毎日が楽しく幸せに生きています。

 

ブログからこんな情報を発信していきます。

  • 宇宙につながること。
  • 自分を信じること。
  • 意識を変革して人生を楽に楽しくすること。

 

この下からはなぜ宇宙につながることが大切なのか、私の人生のエピソードを振り返りながらお伝えします。

 

人間関係は小学校時代から酷かった

小学校時代は、学校の成績は良かったです。

常にトップの成績でしたが、体がかなり弱く病弱でした。(トップとは言ってもクラス20人弱しかいなかったw)

 

私は、今で言えば小学校1年生から4年生まで「いじめられっ子」でした。

当時は、家が養豚農家だったので、すべての小学校生徒(150人位)から「ブタ!ブタ!」と馬鹿にされ、いじめられました。

 

しかし、気だけは強かったんです。

暴力をふるってくる上級生も多くいました。

 

私は病弱でも気は強かったので、黙ってはいませんでした。

暴力には、手を出してやり返しましたが、常に1対5以上の喧嘩で、酷い時には1対20くらいになりました。

 

つまり、袋叩きです。

 

1対5以上の喧嘩を、登校時に1回、学校にいる時に3回、下校時に1回の毎日5回は行いました。

それを小学1年生から4年生まで毎日繰り返し、勝ったことは一度もありませんでした。

 

こっちも最初の一人にはパンチを1発だけは入れましたが、反撃はそこまででした。

今で言えば、かなり酷いいじめだと思います。

 

私は、一生懸命に働いている親には悪い気がして、いじめられていることは一言も話しませんでした。

話したのは、中学校になってからでした。

 

5年生を過ぎたころからは、上級生が少なくなったので、いじめはそれほどでもなくなりました。

性格の問題もあると思いますが、この頃から人間関係は酷いものでした。

 

心の大切さと、実行することの大切さを学んだ大学生

高校の時に部活ができなかったので、友人の影響で大学では極真空手部に入りました。

チームプレイより個人プレイの方が得意なので格闘技しか選べないんです。

 

大学はかなり遊んでしまい、不良学生でした。

 

そうは言っても、部活動で非常に思い出に残ることがありました。

4年生の時の学園祭の演武で、バットを2本まとめて蹴り折ったことです。

 

当時はまだ、多分茨城県の極真のなかで2本まとめて蹴り折った人はいないと思いました。

私が、最初のような気がします。

 

当時、「俺は、演武でバットを2本まとめて蹴る」と言った時に後輩に「足が折れますよ」と返されましたW

そのために、私はすねを鍛えるため、毎日砂の入った袋を1000回蹴っていました。

 

そして演武の前日は、「バットが折れる。」とつぶやきながら寝ました。

しかし、何度も「バットが折れる。」と繰り返しても、心の奥底では「バットは折れない。」と心に返ってきてしまうのです。

 

その時かなり「ヤバいなぁ。」と思いました。

そこでバットを折ることは考えないことにしました。

 

かわりに、足が折れようが折れまいが「思いっきり蹴る!」とだけ繰り返してて寝ました。

 

いよいよ演武会の当日、私は「思いっきり蹴る!」とだけ心でつぶやいてました。

極真空手部のテントには、恒例のごとくOBたちがたくさんやって来ました。

 

やってきたOBたちが、演武用の2本くくりつけたバットを見つけました。

それを見てOBたちが青ざめて言いました。

 

「これはなんだ!2本蹴るのか!誰がやるんだ!」

後輩が「車田さんです。」と答えていました。

 

OBたちは「失敗したら部の恥だ!そっこくやめさせろ!」と騒いでいました。

学園祭で見学者はたくさん来るので、失敗したらメンツ丸潰れと思ったんでしょう。

 

もちろん、そう言われたって途中で投げ出す気はありません。

もうやる覚悟はできていました。

 

後は、思いっきり蹴るだけです。

 

そうこうしているうちに演武が始まり、バット折りの番になりました。

バット折りは、先に後輩が1本を折って、その後私が2本を折る手順でした。

 

ところが、私の番の前の後輩が、バット1本を折るのを失敗しました。

何度やってもバットが折れなかったのです。

 

私も、それを見て「やばいな」と思いました。

しかしすぐに「思いっきり蹴る!」とだけ言い聞かせました。

 

そして、気合をかけて2本のバットめがけて思いっきり蹴りました。

 

かなりの圧力はあったものの、綺麗にバットが折れました。

その瞬間、一瞬だけ空を仰いだのを覚えています。

 

演武が終わった後は、あれだけ批判をしていいたOBに絶賛されました。

また逆に、私が折ったから俺にもできると言うやつもいました。

 

確かに、次の年は「足が折れますよ」と言った後輩が軽々と2本まとめてバットを折っていました。

「できない」と思っていた後輩が、私が折ったのを見て、意識が「できる」に変わったからでしょうね。

 

ただ、最初にやったのは私です。

最初にやるのと、人のを見てやるのとは違うと思いました。

 

私にとっては、大事な経験ができたと思っています。

 

心で決意をし、決意ができたら迷わずやる。

心の大切さと、実行することの大切さを学んだと思います。

 

「できる。」と意識すれば誰でもできるようになるという事と、「できる。」「できない。」に関わらずやると決めて思いっきりやればなんとかなると言うことを学んだと思います。

 

これは宇宙とつながることにも生きています。

宇宙を信頼して思い切って身をゆだね挑戦できることにつながっています。

 

就職をしてから

私の最初の職場は、町役場に就職しました。

役場時代は、常に住民サイドに立ち、住民が暮らしやすくなることを考えて仕事をしました。

 

私は、上司には嫌われていましたが、町民には好かれるタイプでした。

仕事で関わった町民の方には、仕事を認めて頂いてました。

 

役場時代に、町のウェブサイトを立ち上げたことがあります。

当時は、ほとんどの市町村でウェブサイトは持っていませんでした。

時代の先駆けでした。

 

最初、企画を出してもOKはもらえませんでしたが、しつこく重要性を説いてOKしてもらいました。

担当は、私一人でした。

 

当時は、他の町ではウェブサイトの担当者は業者に丸投げで、業者が考えて製作するのがほとんどでした。

インターネットを知るものなど、ほとんどいない時代だったんです。

 

私は、自分で写真を撮り、取材に行き、自分で構成とデザインを練り、作成だけを業者に頼みました。

自分で、町のウェブサイトを創造して作るのは、すごい楽しかったですね。

 

本当は、これが一番楽しかったことかもしれません。

私が、手掛けて1年後に町のウェブサイトが公開されました。

 

当時は、ほとんどの市町村のウェブサイトが、観光を扱うだけのものでした。

しかし、私の作ったウェブサイトは、町の危険個所のハザードマップを載せたり、役場まで来ないと、取れないフォーマットなどを、サイトからダウンロード出来たりしました。

 

当時は、入札申請の事前様式などをダウンロードできると、企業の方もおどろきながら喜んでいました。

ただ、インターネットを使える企業も少ないのも事実でした。

 

今では、当たり前となっていますが、当時は、私の町のウェブサイトだけでした。

1,997年の時です。

 

意識の高い市町村からは、まねさせてくださいと言われました。

また、新聞社も取材に来ました。

 

しかし、役場内部の人たちには、理解できないらしく、「ウェブサイトなんて何の役に立つんだ!遊んでいるのか!」

と、かなり批判も浴びました。

 

役場内では一部の批判を受けながらも、インターネットを見てる町民の方には支持されました。

私は、このウェブサイトを1年間でしたが運用しました。

 

そんな風だったので、ウェブサイトを作成してから、1年後に私が異動になったら、ハザードマップも、フォーマットがダウンロードできるシステムも消されてしまいました。

ただの観光宣伝のウェブサイトになってしまったのです。

 

あとで、聞こえてきた話では、私がウェブサイト作成に夢中になって仕事をしているのを、とても面白くないと思った、力のある課長クラスの人が町の議員さんを使って、私を異動させたとのことでした。

ただ、町の人たち、他の市町村の担当者、関連業者からは評判が良かったです。

 

私が頼んでいた業者とは別の、名の通っている業者から、

「車田さんと組んで良いものを作りたいので、うちにやらせて欲しい。」と言われたこともあります。

 

私にとっては、売り上げに関係なく、町のためにと思って、その情熱を、町のウェブサイト作成に注げられたのは、非常に幸運で幸せな時期だったと思います。

 

そのために当時は他の仕事でも、前例だけ気にして仕事をする上司たちと意見が合わず、かなり強引に仕事をしていました。(言うことを聞いていたら、前に進まない)

私は、前例がなくても、町に良いと思えば新しい事業を創設しました。

 

そのため町の人たちからは好かれたのですが、上司たちからは嫌われました。

 

そのため職場では、かなり酷い悪評を流されました。

身に覚えのない悪評です。

 

「車田は仕事は全然しなくて文句ばかり言って、車田が来たら課の仕事がダメにされる。」みたいなことを言いふらされました。

 

でも3%くらいの上司は、私の実力を認めてくれました。

 

当時は、ほとんどの課長がやる気がなく、新しい事業は何を起案しても許可がおりませんでした。

そこで私が起案したものを直接、町長に交渉しました。

町長がOKならば私の発案ではなく、町長の発案として命令を出してもらいました。

 

町長には「私の発案ではなく、町長が考えたことにして課長に命令してください。あとは私がやります。」とこう伝えていました。

 

なぜなら、私の発案ではどの課長も動かないからです。

このことは、だんだんには課長クラスに知れ渡り、どの課長も私が異動して来るのを拒むようになりました。

 

そんな感じで、思い通りに住民のための仕事を創作していたので、私は勘違いを起こしました。

私は何でもできると。

 

独立に挑戦した結果

 

そこで、私は悪評の立っている役場を退職し独立しました。

医療器具関連の商売をやったのですが、私はその時点では、商売の知識は全く無かったのです。

 

何の知識もなく、ただの勘違いで開業した訳ですから3年で閉業に追い込まれました。

最初の1年は、運も良くなんとか凌げたのですが、2年目からどんどん収益が悪くなりました。

 

私だけではなく、その元受けの会社との取引で、始めた人は全員、私のように最後は倒産しました。

元受け企業は今でも儲かっているので騙された感じでした。

 

借金だけが残り、新しい事業も思いつかず途方にくれました。

そこでどこかに就職しようとしましたが、当時は就職難でどこにも入れませんでした。

 

何十と面接を受け、どこも断られ続けました。

最後に面接した企業に「うちは人間関係が、最悪ですが大丈夫ですか?」と聞かれましたが、私はそれを受けました。

 

その企業で働いて、確かに人間関係は最悪なところでした。

私は、ここを辞めたらもう後がないと思ってしまい、自分に嘘をついて我慢をし続けました。

 

私は、自分を騙して我慢をし続けたために統合失調症になってしまいました。

本来は、人は自分に正直に我慢などしないで生きるべきだったのでしょう。

 

それから9年間、働くことが出来なくなりました。

 

 

一番辛かった9年間で、死を恐れなくなった

人生で一番辛かったことは、人間関係が原因で統合失調症になり、9年間も働けなかったことです。

何度も、このままではいけないと働こうとしましたが、どこの会社でも、どんな仕事でも3日持ちませんでした。

 

となりの人が怒られただけで、その場で気絶したり、少しでもストレスがかかるとパニック障害になり体が震えて何もできなくなりました。

それを繰り返してたら、今度は、採用が決まった連絡が来ただけで、パニック障害が出るようになりました。

 

9年間は、ほとんど働けない状態でした。

毎日、近くのダム湖の周りをグルグルと、1日中歩いていました。

 

6年間は、それを毎日続けました。

その歩いている時は、とても惨めな気持ちでした。

 

そして、何度も就活しては、すぐに辞めなければならなかったことで、深く自分に「俺は、何をやってもダメだ。」とアンカリングすることになったのです。

しかも、何年もかけて。

 

6年間、ダム湖のまわりを「俺は何をやってもダメだ。」と思い続けながら毎日歩いてたんです。

6年間の後半のころは、そんなマイナスな言葉を毎日自分でアンカリングしている状態なので覇気がまったく無くなってしまったんですね。

 

面接に行くと必ず、「なんでそんなに覇気がないの。」とか「しかし君は覇気が無いね。」と言われるようにまでなってしまったんです。

 

なので、どこの会社も通りませんでした。

 

障がい者の就労支援施設も行きました。

正直言って、どこも本当に役に立つところはありませんでした。(今はあるようです)

 

正直、この時は「このままでは食えなくなって死ぬしかない。」と本気で思い、死を覚悟しました。

そのため、いつ死んでも死は恐れなくなりました。

 

今でも、犬死、野垂れ死、無駄死、変死、どんな死に方をしても死は怖くありません。

一度、この時点で死んでしまったようです。

 

死を体験したのと同じだったんでしょう。

 

ただ、6年後にクレジットカードが使えるようになって、第2次世界大戦の戦闘機のオンラインのフライトシミュレーターのネットゲームを始めました。

中学校のころから、戦闘機のパイロットになりたかったんです。

 

世界中のオンラインパイロットと、戦闘機に乗って空中戦をやると言うものです。

私は開き直って、就活は一切やめて毎日、8時間、3年間を仕事のように飛び続けました。

 

好きなことに打ち込んだため、戦術など本気で研究して、大戦中の本物のパイロットの語録とかと、全く同じ境地まで上り詰めました。

そしたら最後には、勝率で世界ランク2位までになってしまいましたw

 

廃人が廃人になってしまったんですねw

3年間好きなことだけをやってきた、これが開運のきっかけと思います

 

宇宙の意識を肌で感じたフラメンコでの舞台

逆に一番楽しかった体験もお伝えします。

 

役場に入っていた頃にさかのぼるのですが、7年間だけフラメンコを踊っていたことがあります。

男が1人だけだったので、先生には可愛がってもらいました。

 

それもあって、練習量が他の生徒より多く厳しいものでした。

それだけじゃなく、実は下手くそで「こんな覚えの悪い生徒は初めてだよっ!」といつも怒鳴られていましたw

 

年数が立ち、かなり上達したころ、一人3000円のチケットを売って1,000人くらいの前で踊る発表会で、大好きなソレア(孤独)と言う曲を踊れと言われました。

男1人と女7人が踊る振り付けでした。

 

女性の7人は、クラスでも生え抜きのトップからの7人です。

非常に大役で、ものすごい練習しました。

 

週に3日の2時間のクラスでしたが、発表会前の10カ月くらいは、2時間の後にさらに1時間半の練習をしました。

それプラス土日の練習がプラスされました。

 

ソレアと言う曲は、9分間以上も踊り続けます。

フラメンコなんで激しい振り付けが多いので、練習している全員が体ボロボロでした。

 

本当は、女性は最初9人いたのですが、厳しい先生なので「あんたはダメっ!」と言って2人切られたのです。

それなので、いつ自分が切られるかと思い必死で練習しました。

 

体は、ボロボロで歩けなくなり、カイロの先生に「なんで、こんなにまで追い詰める?」と聞かれ「ここまでやらないと踊れない。」と言いました。

 

発表会の1カ月前に、練習しすぎで膝に激痛が走り歩けなくなりました。

そこで、スポーツ病院に行きました。

 

私は先生に「1か月後にフラメンコの発表会がある。それまで足が動くようにしてくれ。あとはどうでもいい。」と言いました。

すると先生は「わかった。週1でここに来い。」と言って、すごい太い注射器で膝裏に4本の注射をしました。

 

それで膝の痛みは無くなりました。

週一で痛み止めの注射を4本打ち続けました。

 

発表会までは、私だけでなく全員が死ぬ気で練習していました。

中には楽にやってた人もいましたが・・・

 

いよいよ、発表会当日の日がやって来ました。

発表会は18時開演ですが、13時からリハーサルで発表会と同じことを事前に1度行います。

 

発表会は、舞台の後ろにボーカル、ギタリスト、あと楽器の人などいれて7人くらい並んでいて、踊り手が舞台の前に立ち、その前に観客が大勢ひきしめて居ると言う状態です。

 

本番前に、ソレア用の服のボタンを閉めようとしても、緊張のせいか集中しすぎなのか指が震えてボタンが閉められない。

出番のない女性に閉めてもらいました。

 

その時の集中は半端なかったと思います。

そして、本番の舞台の幕が開きました。

 

ソレアは、最初私が右手から登場し、その後すぐに女性7人が左手から登場し、しばらくは対になって踊り、途中から合流する振り付けになっていました。

 

曲が始まって、最初に自分が踊り出したら、ドライアイスのような煙が足元から舞台一面に漂い始めました。

「あれ、ドライアイスなんて聞いてないぞ。」と思いました。

 

そしたら、後ろにいるはずのボーカル、ギタリスト、その他楽器5人が消えていなくなりました。

それになんと1000人いるはずの観客も一人もいないのです。

 

さらになんと、一緒に踊っている女性7人も舞台から消えているのです。

ソレアの曲だけが聞こえてきます。

 

その時、「俺とソレアしかいない。」とそう思って無心に踊りました。

一人で踊っていたのです。

 

しかし、曲が2/3くらい行ったところで、急に観客の1人と目が合ったのです。

そしたら、その瞬間、大勢の観客も7人の女性もボーカル、ギタリストもすべてが視界に現れました。

 

スペインでは、踊り手が神がかるのが本物、みたいな話を聞いたことがありますが、自分がその様な体験をするとは思っても見ませんでした。

事実、見に来ていた友人が「踊ってるの見て、すごいゾクッと来た。ただ途中で普通になった。」と言っていました。

 

一人で踊っているように見えた時だけ、神がかっていたのではないかと思います。

先生に話したら先生が「なんで私がそんなことないのに、なんであんたがなるのよっ!」って言ってましたw

 

一人で踊ってた時は、本当に恍惚と踊ってました。

観客と目が合った時から普通の感じになりましたねw

 

まさに自分じゃない自分になる。自分であって自分じゃないものになっている。

この瞬間が宇宙の意識とつながるということに近いなと最近は思っています。

 

某宗教団体に入ったが、宇宙の意識を知ると同時に疑問を持つようになる

統合失調症時代に、人に誘われてある宗教団体に入会しました。

そこでは、他人の幸せや人類の幸せを祈ることを教えてくれました。

 

私は、当時はかなり荒んでいて、まともな人間ではありませんでした。

宗教団体で、人の幸せを祈っていると私の心は癒されて正常に近づいて行きました。

 

そう言うこともあり、教祖やそこの神様にのめり込み多額の借金を作るまで、のめり込んで行きました。

そこの神事をお金を出して受けると、人生が一時的には良くなりました。

 

本当に、4次元~6次元の神様とか龍神が動いているのも実感できました。

神様とか龍神がお出ましなると、神によって気が違うのですが、暖かくなったり、恍惚としてきたり、ずっしりと重くなったり本当に神霊が降りてくるのが実感できたのです。

 

実際に、神様が動いているのが実感できたから、ますます信じて行ってしまったのです。

 

しかし、根本的な人生の苦しさは変わりませんでした。

他の会員の人たちを見ていても、人生苦しい人は、いつまでたっても苦しいままのようでした。

 

その宗教団体では、宇宙の創造主(すの神様)がいて、(すの神様)の許可があれば、下の神様が働くと教えられました。

そして、現実的な力を持っているのは、下の現実界に近い神様で(すの神様)は権限だけで何も出来ないと聞かされました。

 

そして、(すの神様)だけを信仰しようとするのは、他の神様が動かなくなるので、何の応援ももらえないからやめるようにと言われました。

そして、宇宙の創造主である(すの神様)と霊泉がつながっているのは会員だけだとも、会員の特権だとのことでした。

 

私は途中から、宇宙を創造した神様だから1番なんだろうと思い、ほとんど(すの神様)だけを意識するようになりました。

そして、物理学で、地球上にあるすべての物質は同じ波動で出来ていると言うのを思い出しました。

 

その時、と言うことは、(すの神様)は宇宙の創造主だから、すべてのものは(すの神様)でできているはずだと思いました。

それならば、会員だけが(すの神様)の霊泉でつながっていると言うのはおかしい、人類全員がつながっているはずだと思いました。

 

かなりしてから、EngelHiroさんが書いた「天使の気功」と言う本を読み、やっぱり宇宙が中心で全員がつながっているんだなと思いました。

そしてそれは、13年前に読んだ「神との対話」と言う本に書いてあったことを思い出しました。

 

宗教団体の教祖やベテラン会員から、「辞めれば、神様のご加護が無くなる。」と言われていたので、おかしいことがはっきり確信してからも、「天使の気功」を読んでから3カ月は宗教団体に所属していました。

ですが、ここは辞めないと前に進めない、しかも自分の考えが足を引っ張られると思い、思い切って退会しました。

 

他にも宇宙の意識を書いている人を探しました。

退会してすぐに、大木ゆきのさんに出会い、4次元~6次元の神様ではなく、宇宙の根源の意識に向かえばすべては解決すると確信しました。

 

宗教団体時代は、心の荒みは取れたものの、人生の苦しさは一向に変わりませんでした。

とくに人間関係の苦しさは、昔から変わりませんでした。

 

宗教団体を辞めてから、人生を賭けて宇宙の意識の勉強をしました。

宇宙の意識を勉強するようになって、短期間で人生が好転しました。

 

今では、宗教団体を辞められて本当に良かったと思っています。

宗教団体に入っていれば、頭は教祖になり人格の主役が自分ではなく教祖になるからです。

 

つまり、教祖が言ったことなら間違いはない、それは教祖が言っていることに合っているのか?と自分の考えは無くなり教祖の考えの通りに生きるようになるからです。

 

つまり教祖やそこの神を信じているのであって、自分を信じていないのです。

 

これは、宇宙(創造主)の意志に反しています。

宇宙は、個人個人の自由意志を愛しています。

 

個人個人が自由に自立して、好きな人生を歩むのが宇宙(創造主)の望みなのです。

他人や、他の神様に支配されて生きていいるのは、本当に生きているとは言えません。

 

自分が自分の宇宙の支配者であり責任者だと、自覚して初めて自分の人生を創造することができるのです。

 

私は、宗教団体を辞めて、宇宙を意識して自分が主人になったことで、やっと幸せな人生を手に入れました。

宇宙=自分なのです。

 

宇宙を生きることは自分を生きることで、宇宙を信頼することは自分を信頼することなのです。

すべては宇宙であり、すべては自分と言うことがわかりました。

 

私は、宇宙とつながることで、自分を信じ切れるようになり、自分を愛し自分らしく幸せに生きれるようになりました。

 

宇宙の創造主だけを意識するようにしたら病気が改善した

宗教団体に所属していたころ、宇宙の創造主を意識するようになったことで仕事ができるようになり、ある大企業に就職しました。

その会社は、とても古い体質で、中学校の部活のように上司や先輩が、とても威張っていました。

 

入社して初日から人間関係のストレスでパニック障害が起こり1週間耐えましたが、月曜の朝に退職の電話をするつもりでした。

日曜日に、家事をしながらパニック障害のまま宇宙の創造主を意識してました。

 

そしたら、急に体の中にものすごいエネルギーが入ってきて、パニック障害が消えてしまったんです。

そんなことが、2度ほどありました。

 

そのことがあり、会社に勤められるようになりました。

しかし、あまりに上下関係のうるさい人間関係の良くない会社だったので、毎日が苦しかったです。

 

そこを3年半ほど、また自分を騙して我慢してしまいましたが、ついに会社を退職し新しい仕事を見つける間に、宇宙とつながる勉強を人生賭けて行いました。

会社を辞めたのと、宗教団体を辞めたのは、ほとんど同時でした。

 

現在は宇宙の意識とつながることでストレスもなく、病気もなく、働けるようになった

会社を辞めて就活中に宇宙とつながる勉強をしてから、就職が決まりました。

今までは、人間関係の劣悪な会社しか入社したことがありませんでした。

 

しかし、宇宙につながる訓練をしてから入った職場は、想像もつかないくらい良好な人間関係の職場でした。

それは、ある大学の職員の仕事なんですが、今では職場、仕事、家族間すべての人間関係のストレスは0に近い状態です。

 

今では、威張った馬鹿な上司や先輩は一人もおらず、ノルマ等のストレスもなく、職場の仕事、人間関係ともにストレスがほとんどありません。

 

流石に人間ですから、小さなストレスは出てきますが、それも宇宙を意識すれば消えてなくなります。

実質は、ストレスは0と言ってもいいと思います。

 

そして私は、統合失調症の時にワクワク感や好きなことを失ってしまったのですが、宇宙の意識につながって自分が回復してくると、ワクワクすることや好きなことが出てきました。

[ハッピートリガー コンサルタント そらいき」の代表・コンサルタントにもなりました。

 

私は、どちらかと言うと人に好かれないタイプだったのですが、今は多くの友人がいます。

 

そして、誰にでも笑顔で話せるようになりました。

私は、統合失調症時代の9年間で一度も笑ったことが無いのです。

 

今では、コンビニの店員、ガソリンスタンドの店員、レストランの店員、ラーメン屋の隣の人あらゆるところで談笑して楽しく過ごせるようになりました。

 

今は、毎日、楽に楽しく生きています。

宇宙とつながると、自分も他人も許せるようになりました。

 

特に「自己受容」と「瞑想アファメーション」の効果は絶大でした。

どちらも自分を許すことと他人を許すことができるようになりました。

 

自分を認め他人を認めると言うことです。

これができると、ストレスがほとんど無くなります。

 

「瞑想アファメーション」をすると、自分にとてつもない自信がついてきました。

今までだったら、物怖じするようなチャンスも挑戦できるようになったし、今までだったら引け目を感じるような相手にも、「私の方が上じゃん」と逆に自信をつけてしまうようになりました。

 

また、心が広くなり、多くのことを許せるようになり、多くのことを認められるようになりました。

ひらめきも多発するようになりました。

 

宇宙から、必要なアイディアがどんどん送られて来ている感じになりました。

 

「自己受容」も「瞑想アファメーション」もとても効果がありますが、「宇宙の意識」を知っててこそ大きな効果を発揮します。

「宇宙の意識」を知って初めてすべてが回り出すのです。

 

この3つこそが大きな変容の力になります。

この3つを毎日実践することで、職場、仕事、家族間の人間関係のストレスがほとんど無くなりました。

 

あったとしても、すぐに消え去ります。

毎日が、楽に楽しく生きれてます。

 

この3つで、大きな意識の変革が短期間で行えるのです。

 

宇宙とつながると言うことは、自分とつながり自分を信じることなのです。

これから、もっともっと宇宙とつながって、自分を信じ切って自分らしく、もっともっと幸せになるつもりです。

 

現在では、その会社もやめて独立して、自分の好きなことだけをやり、毎日を楽しく幸せに過ごしています。

 

理念:人生の辛さを、幸せに変えるについて

私は「不遇な人間関係と統合失調症」という経験があって、「人生が辛い」と思っていました。

でも、宇宙の意識とつながり意識を変えることで、自分を信じ切れるようになり、自分の人生が好転し、幸せな人生を送れるようになりました。

 

もし、昔の私のように人生がうまく行っていない人たちがいたら、「人生楽しいな」って思ってもらえるように、幸せになるようなブログを書き、自分を信じ切って自分らしく生きることの素晴らしさを伝えたいと思います。

 

人生が辛いと思っている人たちが幸せになる方法、それが宇宙とつながること

私が宇宙とつながり意識を変えることが、とても大事だと伝えているのは

「人生が辛い」と思っている人こそが、宇宙とつながると意識変革が起き、自分を信じ切って、自分らしく、人生が楽に、人生が楽しく、幸せな人生になれると本気で思っているからです。

 

そのために、皆さんに宇宙とつながり意識を変えるための情報を、無償で提供しています。

この情報から、人生が辛いと思っている人が少しでも楽になり、人生を好転させることができたら、私はより幸せです。

 

【ジャッキー・エン】の応援をよろしくお願いします。

宇宙につながることの大切さが、私の経験から伝われば嬉しいなと思います。

 

もし、宇宙につながることに興味が湧きましたら、ぜひ無償で公開している『宇宙とつながり幸せになる11ステップ』とブログをお読みください。